2015.10.27

矢沢永吉は最高にカッコいい。35億の借金を返したその人生に鳥肌が止まらない。

矢沢永吉が教えてくれる最高のかっこいい人生の生き方とは。彼の信念や音楽のこだわり、横浜への思い入れなどファンの心を掴んで離さないものをストーリーで紹介します。本当の男とは何か、一人の人間として自分らしく生きる覚悟を教えてくれます。鳥肌を立てながらご覧下さい。

矢沢永吉の人生とは

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「スーパースター」「伝説のロックン・ローラー」「ボス」と、矢沢永吉さんには多くの冠がついています。なぜここまで永ちゃんだけがフューチャーされるのでしょうか。それは、彼がここまで歩んできた壮絶な過去と、一糸乱れぬ信念があったためです。男の魂を震わす矢沢永吉さんの知られざる人生を紹介します。

 

矢沢永吉の壮絶な過去

伝説を作る少年は1949年9月14日に広島にて生まれました。生まれた家庭は極貧環境。3歳の物心がつく前に母親は家を出て、被爆者である父親も幼少の頃に原爆の後遺症で亡くなっていました。天涯の孤独を味わった矢沢さんは、親戚をたらい回しされ、最終的に祖母に高校卒業まで育てて貰いました。この頃、近所の裕福な家の子供に「お前の家は貧乏でケーキなんか買えないだろう」とケーキを顔に投げつけられるなど、壮絶ないじめを経験しました。

そんな矢沢さんには希望がありました、それが音楽。中学生の時にラジオから流れて来たビートルズの音楽に魅せられてアーティストを目指す決意をしました。「俺はBIGになる」。その決意のまま、高校卒業を期に上京。ギターと現金5万円を持って、夜行列車に乗って東京を目指すも、通路に座りっぱなしでケツが痛くなり、限界に達した頃、横浜駅に停車したのでバッと飛び降りました。

 

彼の心の場所。全ては横浜から始まる。

「もし、あのまま東京まで行っていたら現在の矢沢永吉は存在しなかったのではないか…」と本人が言うくらい、横浜という街は矢沢永吉を育てました。米軍基地で歌ったり、キャバレーやバーで幾つかバンドを作っては潰す毎日を続けました。「才能のないヤツは去れ!」とバンドのメンバーを変え続け、1973年に結成されたのが伝説のバンドCAROL(キャロル)。その後ソロになりますが、キャロル時代から矢沢さんは著作権や印税などお金に関する勉強をし、マネジメントを含め、管理することにこだわりました。「ただのアーティストが銭金のことを言うな」と周りから非難の声があがるも、矢沢さんは自分の作品を管理することにこだわり続けました。

「だいたい昔は、ロックでメシ食ってるヤツなんていなかったもの。"ミュージシャンは金持つな"という風潮があったしね。ファッションだったのよ。だけどオレはそういうのイヤだった。(中略)アーティストとしての権利を主張することは、これからの時代、絶対必要だとオレは信じた。でも当時の芸能界でそんなこと言うヤツ、誰もいなかった。

出典:https://ja.wikipedia.org/

 

ロックを追求する男

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自分の作品管理にこだわる矢沢永吉。当時所属していた事務所やレコード会社の重役と、今後の方向性についてケンカになり、「我々の言うことに従っていればいいんだ。」「所詮歌手は人気商売。いつまでもこの人気が続くと思うなよ。」と言われました。

この権力を武器に迫った言葉に対して切り返した矢沢さんの次の一言は今でも伝説として語り継がれています。

「お前の一生、矢沢の2秒」

お前がどんだけ良い大学入って、どんだけ良い会社に就職しても、お前が一生かかって稼ぐ額は矢沢の2秒だと、鬼をも恐れぬ発言をしたことで多くのロックファンの心をつかみました。

「僕みたいなアーティスト、日本で初めてでしょ? どちらかというとマスコミやレコード会社と向こう張っちゃうんだもん。当然「生意気だ!」って事になるわね。でも「この野郎!俺がお前よりビッグになったら、俺が今度お前を潰してやるぞ」って、ハッキリ言うけどね。いま、ここまで来たから皆が認めるのよ。「勝てば官軍」って、よく言ったもんだよ」

出典:ドキュメンタリー映画『RUN&RUN』

その後、日本のロック・ソロアーティストとして初の日本武道館単独公演を果たし、長者番付歌手部門1位を獲得。当時「ヒーローと呼べる人物」として王貞治に次ぎ、2位に選ばれました。このようなロックミュージシャンとしての矢沢さんの快進撃はロックミュージシャンの「ロックでは食べられない」「女のヒモ」という古くからのイメージを大胆に打ち破り、ジャパニーズロックの転機を作り上げました。

金、車、家、名声。矢沢永吉は全てを20代で手に入れました。

 

全てを手に入れた矢沢さんが感じたこと

全てを手に入れた後、矢沢永吉はこう思いました。

「何かが違う」

全てを手に入れた筈なのにHAPPYじゃない。全てを手にいれたのに何でこんなに辛いんだ…。矢沢ファミリーというバックバンドも含め全ての組織を解散して単身で渡米しました。

 

彼の一歩は自分を180度変えた。

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アメリカでの新しい発見、経験は全てがプラスになり、音楽を続ける決意をします。

「いま、はっきりと言い切れるね、サクセスよりも、ハッピーの方が大切だって」

出典:矢沢永吉『自己革命論』

このように語った矢沢さんの価値観には大きな変化が起きていました。

そしてアメリカでの活動で人脈も出来た彼は、幸せで順風満帆な日々が送るはずでした。

 

しかし、矢沢さんの元側近による35億の巨額横領事件に巻き込まれる

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順風満帆だった矢沢さんは、1998年に元側近の巨額横領事件に巻き込まれ、35億円の借金を抱えることになってしまいました。

奮い立った矢沢さんは50歳を過ぎて年間100本を超えるライブを敢行します。そして35億円の負債を15年で完済しました。

「正直言ってあの事件が起きた時、ボクはもうダメだと思ったよ。「あー、オレの人生終わった」と思いましたよ。被害者なのに有名人だから、面白おかしくマスコミは書くし、人の不幸は蜜の味……コイツらにいい思いさせたくない。35億、大変だけど矢沢永吉が本気になったら返せない金じゃない。「よし!行ったらんかい!?」と。「こうなったら仇取ってやる!」と。要は人参よ。どうしていいか分からなければ自分で目的を作っちゃえばいいのよ、人参を。そしてそこに向かって走る。ガタガタ考えてもダメなときはダメなんだからさ」

その後もレコード会社を立ち上げたり、15億円をかけてスタジオを作るなど、何が起きてもブレずに自分を信じて貫き通します。何度挫折してもよみがえる「負けん気」や「根性」はロックファンだけでなく多くの人を感動させました。

 

 スーパースター「矢沢永吉」を貫き通す

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「生活保護受けて、苦労して広島から夜汽車に乗って上京し、やがて世紀のロックンローラーになる役さ」ってね。悪くないよね。

矢沢永吉さんは自分のスター性を語る際に、たびたび人生を映画に例えます。スターとしての自覚が、彼をここまで動かすのかもしれません。

彼は『アーユーハッピー?』という自身の著書でこのように述べています。

人間はいつか死ぬ。

だんだん年をとって、体もゆうことをきかなくなってきて、ふと若いころを振り返ったとき、信頼してくれている人間を陥れたことがあるなんて思い出したら、それは気持いいもんじゃないよね。

負債と取り立て。
こいつは苦しい。
でも、オレは負けない。

何歳まで生きられるか知らないけど、オレは役を与えられたんだ。
矢沢永吉という役を。


 

私たちが矢沢永吉から学べる生き方

 

その紆余曲折の人生の中で矢沢永吉が大切にしていたこと。それは、自分が信じていることを諦めず貫き通す強さではないでしょうか。矢沢さんのストーリーを読むと、自分が忘れかけていた情熱を思い出して、思わず胸が熱くなります。矢沢さんは66歳になった今でも現役でライブを行っています。これらのストーリーが響いた方は、一度足を運んでみてはいかがでしょうか。

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