【実話】平凡な18歳の学生が、現金5億を手にするまで
預金5億円から、3.5億円の借金人生に転落した男の話
某私立大学の理工学部に在学中、18歳で起業。ものの数年で事業を軌道に乗せたことで、億単位の大金を手にした朝比奈恒介さん(仮名:以下「朝比奈さん」)。だが、華やかな生活は時間の経過とともに一変。21歳で会社をクビになり、一夜にして3.5億円の借金を抱えてしまいました。
若くして天国と地獄を味わった彼の波乱万丈な人生に迫る今連載。現金資産5億から借金3.5億へと、まさに「転落」した人生で、彼は何を学び、何を感じたのか。現実離れした内容を、すべてノンフィクションで伺いました。
普通の「一般人」だった学生時代
──朝比奈さん、本日はインタビューよろしくお願いします。そして、繊細な話題を深掘る今企画を受けていただいてありがとうございます。
こちらこそ、よろしくお願いします。諸事情で顔や個人情報を出せず(笑)申し訳ないのですが、天国と地獄を味わった僕を反面教師にして、Smartlog読者のみなさんが、少しでも何かにチャレンジするきっかけになれば幸いです。
──ありがとうございます。ではまず、起業をするまでをお聞かせください。大学に入るときから起業を志していたんですか?
正直考えていませんでした。裕福でも貧乏でもない普通のサラリーマン家庭で生まれましたし、中高は野球に没頭する学生時代を過ごしていました。成績も真ん中くらいで特に目立つことは何もないような人間でしたね(笑)起業する前は家庭教師のアルバイトをして生計を立てていました。
18歳の時に趣味ではじめた草野球が、いつの間にかビジネスになった
──ごくごく一般的な生活をしていたのに、なぜ起業をするに至ったのですか?
草野球のコーチをはじめたのがきっかけです。大学に入学した後、高校からの流れで草野球チームに所属していたのですが、昔のケガが再び悪化してしまい、野球ができなくなってしまったんです。その時チームのコーチをお願いされて、やってみたらチームが強くなっちゃったんですよ(笑)したら他のチームにも呼ばれるようになって、だんだん手が回らなったので、野球コーチを派遣するビジネスをはじめました。他にも、担当するチーム同士で試合をセッティングするなどして、少しずつ草野球チームを巻き込んでいきました。
──趣味が仕事につながった形ですね。はじめた当初の売上はどのくらいになりましたか?
18歳の秋頃にコーチをはじめて、2ヶ月で50チームを担当するようになりました。毎月200万以上のお金をいただいていましたね。
──18歳で月200万ですか。
大金を持った経験がなかったので、最初は不安しかなかったです(笑)いただいたお金を本当に使っていいのかも分からなかったですし、何に使えばいいのかも分からなかったので、とりあえずすべて預金していました。その後すぐ、草野球チームの会員さんが凄腕で有名な税理士・夏井誠さん(仮名:以下「夏井さん」)を紹介してくださり、夏井さんに相談したタイミングで正式に会社を設立しました。
──思いもよらない流れで起業されたんですね。
そうです。自分自身が会社を持つことになるとは、微塵も考えていませんでした。お金を稼ぎたいという欲はあまりなく、当初は会社を大きくすることもあまり考えてなかったんです。ただ、会費をいただいている分、現状のサービスじゃ申し訳ないなと思い、もっとイベントを打ったりサービスレベルを上げたりしないとなと。そこから本格的に事業を拡大したいと思いはじめた感じです。
創業後は、歳上の優秀な人材を探すのに没頭
──会社を大きくするために、最初にやったことは何ですか?
優秀な人材を探しました。お金もコネも知識も何もない僕一人じゃ会社は経営できないと思ったので、歳上の頼りになる方に仲間になって欲しいと思ったんです。またも草野球チームの会員さんに頼んで、某大手企業で営業をされていた藤川一朗さん(仮名:以下「藤川さん」)をご紹介いただきました。もう定年退職をされていたんですが、業界じゃ有名な営業マンだった方で、その時は年の半分を日本、もう半分をハワイで過ごされていました。僕はすぐさま藤川さんを営業部長として招き入れたいなと思って(笑)会いに行きました。
──お会いして、リクルートは成功しましたか?
もちろん失敗しました(笑)はじめは全く相手にされなくて、それから一ヶ月間、毎日家に通ってお願いしました。三顧の礼ならぬ、三十顧の礼です(笑)「ハワイとお前、どっちが面白いんだ?」とよく聞かれましたね。最終的には、願い叶ってなんとか藤川さんを招き入れることができました。そのタイミングで税理士の夏井さんにも会社の役員に入っていただき、本格的に会社がスタートしました。
朝から晩まで勉強漬けだった設立1年目
──強力な方を仲間にされたんですね。
運が良かったです。1期目はそこから勉強漬けで、とにかく草野球チームの会員さんのことだけを考えて、必要なことを素直にすべて吸収しました。藤川さんからは、経営から営業、大人としての立ち振舞いなどマナーに至るまで、徹底的に教えていただきました。
──どのくらい勉強に費やされたんですか?
毎朝5時に藤川さんの家行き、そこから夜中まで勉強です(笑)家に行くといきなり本の束を渡されて、「これを読め!」と。1ヶ月で300冊は本を読まされましたね。プレゼン練習漬けの日もありました。1年間はずっと勉強の毎日でした。
──朝から夜中までですか。大学の授業に支障はありませんでしたか?
大学の授業のある時間だけ抜けて、大学に通っていました。授業と寝る時間と野球の仕事以外はずっと藤川さんの家です。今思えば、この時が一番きつかったですね。
売上と利益は、毎年倍々ゲームで伸びていった。
──大分ハードな日々ですね。会社の業績は順調でしたか?
藤川さんのお力添えもあり、順調に伸びていきました。チーム単位でいただいていた会費を、個人からの会費に変更し、個人へのサービスを手厚くしました。球場の手配やリーグ戦の主催もするようになり、50チームだったコミュニティが1年で200チーム以上に増えました。チーム数が拡大したので企業からもスポンサー料をいただけるようになり、経費が全然かからないビジネスモデルなので、1期目から億単位の利益が残りました。
──月200万だった売上が、1年弱で「億」ですか!素晴らしいですね。2期目以降も順調に推移したんですか?
2期目からは、野球を絡めたイベント事業とグランド関連の不動産事業を開始しました。例えば、東京ドームで会員さんの家族を呼んで野球イベントを開催したり、土地を買って野球場にしたり、といった形です。他にも1期目は東京のみで開催していた交流戦を、2期目は大阪と博多でも立ち上げるなど、様々な施策を打ちました。ありがたいことに、2期目も売上と利益は倍々ゲームで増えて、3期目には年商数十億の会社になっていました。そして4期目に入った21歳の頃、いつの間にか僕の口座には5億円の預金がありました。
──まさに夢のような非現実的な話ですね。次回、2回目の連載は大金を手にした後のライフスタイルの変化や豪遊エピソードを赤裸々に教えてください(笑)残り4本の連載、よろしくお願いします。
赤裸々にですね(笑)よろしくお願いします。
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