「僕はサイバーで2番目に有名な人になる」バチェラー・小柳津林太郎のキャリアと半生

Smartlog編集部 2018.09.16
より良いキャリアや人生の在り方を模索したい男性のために、バチェラー・小柳津林太郎さんにその半生や人生観を語っていただきました。
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仕事のキャリアには様々な在り方があります。

キャリアの正解は一つじゃないからこそ、悩んでしまうのが常。

そこで、キャリアに悩む男たちのために、様々な業界のトップランナーたちの経歴を聞きながら、キャリア形成の参考にするスマログの企画「#男の履歴書」。

今回は、サイバーエージェントで幹部として活躍中の2代目バチェラー・小柳津林太郎さんにご自身のこれまでのキャリアを伺いました。バチェラーとしての側面ばかりが注目され、実際にどんな仕事をされているのか、どんな仕事観なのかを知っている人は多くないのではないでしょうか。サイバーエージェントの幹部としてキャリアを積み上げる小柳津さんの半生をご覧ください。



幼少期の頃の話から、小柳津林太郎の原点を探る

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──今回は、自分自身のキャリアの参考にしたい男性のために、小柳津さんの半生や人生観を伺えればと思っております。よろしくお願いします。

よろしくお願いします。



──まずは、幼少期のお話から教えてください。7歳からご両親の仕事の都合でニューヨークに渡米されたと伺いましたが、幼少期の渡米が現在の価値観に何か影響を与えていると思いますか?

アメリカって個性を大事にする国なので、個性的であることが良しとされてて。変わってることは悪いことではなくて良いことだよって環境下で過ごすことができたことが、僕の原点中の原点かなって思います。



──小柳津さんの魅力的なキャラクターは幼少期の体験が原点にあるんですね。15歳で日本に帰ってきてからはどうでしたか?

それが大変で(笑)中高が本当に厳しい環境でして。PL学園高等学校っていう、かなり厳しい学校だったんですよね。



──幼少期とは真逆の環境だったわけですか?

はい。なので、個性を殺さざるを得なかったです。かなり苦しかったですね(笑)



──そこから今の小柳津さんのような個性的なキャラクターにどうやって変化していったんですか?

大学に入って、演劇と出会ったことが大きなターニングポイントでした。演劇はむしろ個性的であることが良しとされるような場で。「お前のその個性は演技なら絶対に活かせる」って言われて、「あ、個性的だってことが褒められる環境ってあるんだ!」って思えた喜びがあったことを今でも覚えています。そこから個性を追求するようになり、人と違った人生を歩みたい、人と違った生き方をしたいという風にどんどん思えるようになりました。



サイバーエージェントに入社。

──サイバーエージェントに入社したきっかけはどんなものだったんでしょうか??

最初はなんとなく行ったってのが正直なところです(笑)俳優やるかサラリーマンをやるかの2択で迷っていたんですが、ベンチャーで3年限定で働いてみよう。3年働いて違うって思ったら、舞台の道にいこうと思ってサイバーに入りました。



──実際に入ってみて、どうでした?

サイバーは、僕みたいな個性的な人間や変わった人間を受け入れてくれる懐の深さみたいなのがあって、すごく居心地がよかったっていうのが感想ですね。



──なるほど。小柳津さんのサイバーでの仕事ってかなり謎に包まれていると思っていて、その辺りを教えてください。サイバーでのこれまでのキャリアをざっくりまとめると、どんなことがあったんでしょうか?

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1,2年目はひたすら広告営業をプランナーとしてやっていました。

3年目の2008年に、CyberXっていう会社の社長をやらせてもらう機会をいただいて。

7年目の2012年にCyberXで海外マーケットを狙うため、CyberX ニューヨークの立ち上げを行いました。

そこからはCyberXを清算して、サイバー内にたくさんのゲーム会社があるんですが、その下支えをするチームの責任者を行っていました。で、最近はバチェラーに出て、終わってからはAbemaTVにいるという流れです。



サイバーエージェントでの歩み

──おー!色々と変化があったんですね。では、まずは入社3年目で社長に抜擢されて作ったCyberXの頃のお話を詳しく教えてもらってもいいですか?

CyberXは、立ち上げ当初はガラケーのサイト制作会社をやってたんです。が、黒字化はしたものの、薄利だったので大きく発展させていくのは難しいなと思いまして、ゲームに業態チェンジをしたんです。



──業態チェンジしたゲーム会社の立ち上げはうまくいきましたか?

何もないところからゲームを作って、幸いなことに1つ目のゲームも2つ目のゲームも月商1億円を超えるヒットになりました。黎明期だったので、荒削りでもそれなりのものを出せばヒットしてた時代だったんです。サイバーの今のゲーム事業の最初をつくれて嬉しかったですね。



──今ではサイバーのゲーム事業は会社の収入の柱ですもんね…!その頃の小柳津さんたちチームの活躍が、いまのゲーム事業の基盤となったわけですね。

そう言っていただけると嬉しいですね(笑)



──そこからは?

アメリカに挑戦しようということになって、北米マーケットでの海外スポーツゲームの立ち上げを決めたのですが、失敗してしまって。非常に大きなチャレンジだったんですが、残念ながら数十億の損失を出してしまいました。自分の中でも最大の失敗だったと思っています。



──色々とご経験されてますね。ITベンチャーの経営者ですら数十億のリスクをとったことがある人間はそういないので、貴重な経験だったと思います。

そうかもしれませんね。。「次はがんばれ。」って言ってくれた会社や社長には、恩返ししなきゃと今でも思っています。



──若いうちに子会社の社長を実際に体験してみて、小柳津さんは何が得られましたか?

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経営の「け」の字を勉強させていただいて、たくさんの財産を得られたと思っています。

1つはリスクを取って挑戦する耐性がついたこと。経営にはたくさんのチャレンジがつきものなので、リスクをとることに必要以上に怯えなくなりました。

2つ目はたくさんの人と働けたこと。CyberXをやっていたとき、業務委託とかも含めると4~500名くらいの人と働けて、その人的資産は大きいですね。彼らには今でも様々な場面で助けてもらっていて。経営者を任せてもらえたからこそ出会えたなと思っている大切な仲間たちです。

3つ目は、若くから経営者をやらせてもらえたからこそ会えた経営者人脈。例えばメルカリの山田進太郎さん。彼がウノウの時代に、一緒にゲーム作ってたんです。ミクシィで1位のゲームがサンシャイン牧場で、2位がCyberXのゲームで、3位がウノウが作ってた「まちつく」ってアプリだったんです。
当時、CyberXにはエンジニアが少なく、サーバートラブルを起こしていて、ウノウのエンジニアに来てもらって助けてもらったんですよ。そこから山田さんとは仲良くて。こないだも茉美と俺とで、山田さん家にお呼ばれして奥さんと鮨食う、みたいな。こんな風に、CyberXの社長をやっていなかったら出会えてなかった人はたくさんいて、当時の全てが本当に自分の財産だなと思っています。



CyberX以降

──では、2014年のゲーム会社を清算した頃の話を教えてください。なぜCyberXを清算することを決断されたんですか?

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一応収益はトントンくらいだったんで経営は出来たんですけども、本当に優秀な人材がいたので、CyberXの社員をサイバーエージェントグループにある13社のゲーム会社に人材を再配置した方がグループとしての勝率が高いと判断したんです。

その後は、SGEと名付けた13社のゲーム事業全体に関わる横断組織の責任者になりました。



──なるほど。小柳津さんは責任者としてどんな役割を果たしたんですか?

本当に色々やりました(笑)

例えば、カルチャーを統一して一体感を作ったり、ナレッジを共有したり、バルクで発注してコストメリットを生んだりとか。他にも、GoogleやAppleの海外の渉外責任者をやってたり、目標設定やキャンペーン設計をやったり、人の異動を管理したりなど、それぞれの室長を束ねたりなど、縁の下の力持ちとしてできることを全部やってました。13社それぞれを成長させるために、僕ができることを全て行っていた形です。



小柳津さんのサイバーエージェントでの最大の成果とは

──小柳津さんが過去にどんな仕事をしていたのか、やっとわかってきました。では、先ほどアメリカでの挑戦が最大の失敗だったとおっしゃってましたが、逆に、サイバーエージェントでの仕事で最も成果に繋がったことはなんでしょうか?

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えっとですね、これってのは決めきれないので、冗談みたいなやつを。。

CyberXの時代に作ったゲームがご縁になって、長く人気を誇るゲームをサイバーエージェントグループで手掛けることになったんです。僕が実際にコミットして出た成果よりも、ご縁を生んだだけのものの方が成果としては大きいっていう(笑)



──そういうのエピソードを選ぶのが小柳津さんらしいです(笑)

会社に貢献できてよかったです。小柳津がいてよかったと社長が思ってくれてたらいいですね(笑)



2代目バチェラーを経て、現在はAbemaTVへ

──そして、サイバーエージェント内での様々な挑戦を経て、バチェラーへとなっていくわけですね。

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20代は会社でたくさんのチャレンジを経験させていただいて、次のチャレンジは「バチェラーに出る」という個としてのチャレンジでした。会社にはプライベートのチャレンジを許容していただいて、本当にありがたいなと思っています。



──バチェラー後は、AbemaTVにいらっしゃるんですよね?

そうですね。AbemaTVに移ったのはグループで一番AbemaTVに力を入れていて、なんとか立ち上げなきゃいけない状況の中で、僕にできることがありそうだと感じたからです。



──AbemaTVで小柳津さんが貢献できそうだと感じた部分は?

AbemaTVって恋愛リアリティショーがそれなりにヒットしていて。
で、僕には一応、バチェラーという日本最高峰の恋愛リアリティショーに出た経験や、巨大予算・巨大プロダクションが関わってる番組にキャストとして携わった経験があって。それをどう活かすかって考えた時に、やはりAbemaTVに行って宣伝やエグゼクティブ採用を担っていくことが最もグループのためになると考えました。



どんな未来像を描いているのか?

──これからの小柳津さんはどうあっていきたいですか?

サイバーの発展やAbemaTVのマスメディア化に貢献していきたいという気持ちは前提にあるんですけども、僕自身は新しいサラリーマン像をつくることに挑戦していきたいと思っています。



──新しいサラリーマン像といいますと?

本業をやりながら、三足のわらじ四足のわらじを履くサラリーマン。

結果的に、複数のわらじを履いてるからこそ本業に還元されるようなサイクルってあり得ると思うんです。



──本業以外に別の活動を行いつつも、それが本業に活きていくサラリーマン像ですか。

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もちろん社内成果としても、自他ともに認められる「さすが小柳津だね」ってものを作っていきます。

それをやりながら、積極的に社外に出ていって、外でファンをもっと増やしていく。外でファンが増えたからこそ、僕がAbemaTVに出ていった時にまたサイバーにファンが増えていって、番組の視聴者数が増えていくようなサイクルってあり得るんじゃないかと。まあ要はサイバーの広告塔として動くようなイメージです。

決してそれはファンだけの話じゃなくてもっと多面的なイメージを持っています。僕が有名になっていくことで、新卒採用や中途採用にも効いてくるかもしれないですし、最近でいうと商談で広告部門から「どこそこのクライアントが小柳津さんをキャスティングしたいんですけど。」っていう話になって、それがきっかけに受注がとれたらサイバーのためになるじゃないですか。そういう意味全てをひっくるめた広告塔になりたいです。



──なるほど。すでに日本で一番有名なサラリーマンかもしれません。あれだけテレビCMを打って、お茶の間に顔が出た人はなかなかいませんよ。

そうだといいですけどね(笑)サイバーエージェントで2番目に有名な人になりたいと思ってます。1番は社長に譲ってあげよっかな、なんて(笑)



──(笑)「サイバーで2番目に有名な人になる」非常にキャッチーでいいと思います!

サラリーマンなのに前に出ていく人はあまりいないので「前例のない職種ないしは生き方」をつくるってことをやっていくイメージです。僕が前例になり、もっとこういう個で生きる生き方をする人が増えていけばいいなと思っています。

それが、僕のこれからのチャレンジになってくる。個としてどれだけ突き抜けられるか、どれだけ多くのファンを味方にできるか、そしてそれをどれだけの形でサイバーエージェントに成果として還元できるかを追求していきたいです。



──ありがとうございます!最後に、30代はどんな年にしていきたいですか?

個の追求ってことはこれからやっていくんですけども、過去最高の自分でい続けたいんで、バチェラーってものに変わる代名詞がつくようなチャレンジをしていきたいと思っています。

僕はバチェラーを早く卒業しないといけない(笑)でもね、まだバチェラー残存期間が1年くらいあるんでね(笑)その間に「記憶を塗り替えるための新しいチャレンジをする」それが目標です。

CyberXの小柳津から、SGEの小柳津から、バチェラーの小柳津。また、次の代名詞をつくりたいですね。



──小柳津さん、貴重なお時間ありがとうございました。


小柳津林太郎 プロフィール

1981年京都府生まれ。6歳から14歳までニューヨークで過ごす。慶応大学経済学部卒。2008年からは、サイバーエージェントグループ子会社の代表取締役に就任。現在はサイバーエージェントグループの幹部を務めている。
公式Instagram:rinsta_gram1002

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