【男の履歴書】バチェラー・久保裕丈のキャリアと半生

Smartlog編集部 2017.06.13
バチェラー×Smartlog最終回。より良いキャリアや人生の在り方を模索したい男性のために、バチェラー・久保裕丈さんにその半生や人生観を語っていただきました。

東京大学を卒業後、コンサル会社に就職、独立後は自身が経営を務めるミューズコー株式会社を企業売却し、現在は企業顧問として活動するバチェラー・久保裕丈さん。

久保裕丈

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その輝かしいキャリアに憧れる男性も多いはず。そこで、自分で自分の人生をより良い方向に導いていきたい男性が、キャリア形成の参考とするために、久保さんの半生を語ってもらいました。


大学時代の話から、その半生を知る

──最後のインタビューは、自分自身のキャリアの参考にしたい男性のために、久保さんの半生や人生観を伺えればと思っております。まずは、東大に入ろうと思った理由を聞かせていただけますか。

バチェラー久保裕丈のキャリア

僕は中学受験で失敗してるんですよ。麻布に行きたかったんですが、落ちて第二志望の海城高校になってしまい。そのコンプレックスは常に残っていました。例えば、予備校に通って麻布の奴らがいたりすると、すごく卑屈になる自分がいたりして。次は、そんなコンプレックスを抱かなくても済む学校がいいなと思って、東大を目指しました。理系に関しては、小さい頃から親父が理系の勉強を教えてくれたので、何も疑うことなく理系に自然と入りましたね。

──どんな大学生でしたか?

いや〜もうこれは(笑)大学1,2,3年まではひたすらサークルやってて。こんな意識の低いことってあるのかってくらい、ずーっとサークル漬けで毎日テニスと飲みしかやってなくて(笑)それが終わった4年生や院の頃は一応ひたすら研究室に入り浸ってました。

学生時代の経験は今に生きているのか

──学生時代はどんな研究を?

久保裕丈の学生時代

超臨界流体における極微細プラズマを用いた合成材料というテーマの研究をしていました(笑)もう少し平たく言うと、密度の高い空間の中で、すごくエネルギーの高い状態であるプラズマを用いることで、超高効率な高機能材料の合成を目指す、っていう研究です。伝わらないですよね(笑)

──学生時代の学問研究の経験は今に生きてますか?

学問自体はもう1ミリも生きてないです(笑)今の日本で、学生時代の勉強や研究がストレートに社会人生活で活きることってほとんどないですよね。
ただ、理系で論文を学会発表したりするので、ある程度理屈や筋道がちゃんと立ってるものを作るという頭の使い方は学んだ・・・かな?と思います(笑)今から振り返れば論理立ててものを喋るという習性が身についたのかなとは思いますが、当時はそんなことになるとは全く思ってなかったですね。

──では、テニスサークルの経験が今も生きる貴重な経験だった、ということは?

久保裕丈のキャリア

あるかもしれません。僕自身結構サークルでは苦労してて。入っていたテニスサークルがインターハイに出ていた人など強い人が多かったんです。それに対して僕は大学から始めた初心者で、やはりそんなに強くはなれなくて。
そんな中、ひょんなことから会長につくことになってしまったんですが、それがすごく大変で。どうやって求心力を持てばいいんだろうと悩みました。結果、自分自身に求心力を持たせるのではなく、サークル運営を一緒に担っている仲間たちに求心力を持たせることにして、自分の役割ってなんだろうって考えていきました。そういったコミュニケーションの考え方が後に生きているような気はしています。

──学生時代はこんな過ごした方をいいんじゃない、といったお考えはありますか?

自分が褒められたような学生生活ではなかったので、そんな偉そうなことは言えないですんですが、僕自身はサークルしかり、研究しかり、目の前で自分がある程度責任を発揮しなきゃいけないようなものに、変に手を抜いたってことはなかったなと思います。どんなことでも真剣に向き合うことで、自然と得るものがあるんじゃないかと。

最初の就職。外コン・ATカーニー

──そこから、就職に至ったと。外資系コンサルティング会社にはなぜ行かれようと思ったのですか?

久保裕丈の履歴書

学生時代に行った広告代理店のインターンがきっかけですかね。「代替品の脅威にさらされて、とある商品が売れなくなっているという課題があって、その商品が再度売れるようにするために、どんなプロモーションを打つべきか」というお題に取り組みました。
でも、そこで打ち手として取りうる施策が“プロモーション”だけ、というのにすごく違和感を感じました。加えて、そもそもその商品にリソースを投じるのも正しいんだろうか、とかも考えてしまって。
その時に、限られた打ち手、課題の中ではなく、自分の知恵の及ぶ限り、クライアントの課題設定から施策の策定まで行える方が自分の性にはあっているんだろうな、と感じたのが一番のきっかけです。

──就業体験をベースに自分の価値観と向き合ったんですね。それでATカーニーへ。仕事はどうでしたか?

なかなかタフな環境でしたよ。徹夜も当たり前だったり、夜の12時くらいに帰れるってなると、“おっ、結構早いから軽く飲みに行こうかな”みたいな感じでした。でも働いた5年間はとても充実していました。

──もし可能なら伺いたいんですが、年収はどのくらいでしたか?

やっぱり、同年代よりは多めにいただいていたと思います。

──年収1,000〜3,000万の間くらいですか、ね…?笑

まあ、、、お察しいただければ(笑)
とは言え、外資系の中では、それこそ金融と比べると少ないほうだとは思いますが。

会社員から起業家への転身。そのきっかけと軌跡

──そんな金銭的には好待遇だった状態から、起業に踏み切ったわけですね。この転換点はどんな感じだったんですか?

久保裕丈の経歴

僕、理系の大学院行って、その後コンサルみたいに全然違うことやってるじゃないですか。それと同じように、どっかでキャリアの不連続性みたいなものを自分で起こしておかないと、伸びしろというか成長もスタックする印象がなんとなくあるんですよね。 コンサルでそのまんまキャリアを続けるってある意味ミドルリスク・ミドルリターンみたいな感じで、生涯年収的にはすごく悪くない。でもなんかそれもそれで、面白味にかけるなと思って、であれば例えば経営のコンサルティングっていう「経営」っていうのをちょっとでもかじっていたのであれば、実際に自分で口出しをしていたことをやってみようと。元々独立したいなとは思っていたので、やってみたってのがきっかけですね。あとはVCだったりだとか、アントレプレナーの方との出会いに恵まれたっていうのも大きいですね。

──元々起業や独立に関心があって。そして、このままそこに勤め続けることに対しての疑問や漠とした不安があって、そのタイミングで人と出会ったことが大きかったと。

ですです。人としては、グルーポンジャパンの会長やっていた方だとか、あとはIVP(※編集部注:インフィニティ・ベンチャー・パートナーズ)さんとの出会いが大きかったですね。

──その方々から久保さんに「独立しましょう」みたいな話があったんですか?

一番最初のきっかけはグルーポンやってた人たちだったので、「そこにジョインしない?」みたいな感じでした。「それはちょっとあんま興味ないなー」みたいな感じで、じゃあ「協力するのでなんか立ち上げましょうか?」という流れで始まりましたね。

──起業は最初から軌道に乗られましたか?

久保裕丈

仲間に恵まれたので、最初の立ち上がりは早かったですね。トントン拍子で月商が数千万とかにいって、億に届いてっていう感じでした。なので、立ち上げ期は売上っていう面での悩みは小さかったですね。

──では反対に起業をしてつきまとった悩みは?

2つあって。1つは人材に関することですね。自分ひとりでマネジメントしていた会社が、人数を30人超えてくるとマネジメントを任せる中間層を作らないといけなくなってきて。そんなチームビルディングみたいなところが、僕はあまり得意な方じゃなくて。人が辞めたりといったことも出てきて、それは辛かったですね。
あとはやっぱり資金面ですね。常にアクセルを踏み続けてお金をぶち込み続けているような状態だったので、資金調達が必要になったタイミングで、なかなかそれが難しい局面もあって、キャッシュの悩みがあるときは相当辛かったですね。
どちらもそれまで経験していなかったことなので、非常に悩みましたし、その半面学ぶことの多い時間でした。

今、その目に見ているもの

──サービスを売却してからはどのようなお仕事をされていますか?事業売却後のキャリア設計に関心がある男性は多いと思っています。

久保裕丈

会社離れてからはいくつかの会社の顧問業をしています。

──企業の顧問というと、どんなサポートをしてるんですか?

すごくベタに多いのが、例えば、ネットの売り上げ成長をどうするのかみたいなとこが1番多いです。もうひとつが会社のブランディングだったりとかマーケティング戦略みたいなところですね。ここは僕自身も好きだし、得意な分野だと認識してるので、ここら辺のお仕事はお声掛けいただくことは多いですね。意外と、すごく大きな老舗だったりとか、歴史のある会社さんであっても実は自社コーポレートブランドを明確に定義できていなかったりとか、そもそもマルチブランド戦略でいくのか、マスターブランド戦略的に行くのかみたいなところも定まってなかったりとかもあったりするので、そういうところを経営層に提言していくみたいなことが多いですね。

──顧問になって欲しいという依頼は、元々知り合いの会社が多いんですか?

久保裕丈

それもありますし、あとは人づてでご紹介いただくこともありますね。僕の得意分野とかを知ってる人が紹介してくれます。

──では、今後目指しているものは?

いやーそれが(笑)この歳になってまた、難しくなってきたなーと思っていて。でもやっぱり商売をしていたい。商売人でありたいと思ってます。なので、また自分で会社をやりたいっていう思いは強いですね。

──再度、起業されるわけですね?

それもありだなと考えています。前回は最初から資金調達をして、最初赤字を許容しながらも、成長していくみたいなことをやってみましたけども、次は商売人として最初から、きちんと黒字化をしていって、その上で最大速度で会社を大っきくするみたいな、そんな会社の育て方をしてみたいなと思いますね。まあ、その難しさは身にしみて分かっていますが(笑)

──スタートアップ的というよりかは、伝統的な商売の発想ですね。

資金調達なしでもスタートアップ的であることはできると思うんです。資金調達を達成することがベンチャーの成否の尺度、みたいに考える風潮がありますけど、これには大きな違和感を感じます。もちろん、会社をスケールさせるために、どれだけの資金需要があるかをきちんと分かっていて、そのための資本政策をやりきっている経営者の方は尊敬しています。
でも、出来る限り自己のシェアは維持した上で成長資金を獲得する方が難しく、意義のあることだと思っていますし、できればそういう商売がしてみたいと思いますね。

──最後に、キャリアを考える男性にひと言お願いします。

久保裕丈

僕は健全なコンプレックスを持つことがすごく大事だなと思っています。自分の短所みたいなものをちゃんと認めて、それを乗り越えることで人間は強くなると思うんです。そうやって弱さを乗り越えていくことで、自然とキャリアアップはするんじゃないかと感じています。もちろん、どうにも克服できない弱い部分もあります。そういう部分に関しては、視点を変えてみることで、意外と長所に変わったり、すっぱり諦めることでまた次の扉が開けると思っています。
このインタビュー記事を読まれる方はいいキャリアの方が多いと思うんですが、その中でも常に自分の弱さと向き合う謙虚な姿勢を持たれている方は、同じ男からしてもすごく魅力的だなと感じます。
あとはまあその上で、楽しそうなことがあったらとりあえずやってみたらいいんじゃない?と。僕はそんなことを考えて生きてきました。

──例えばバチェラーみたいな?(笑)

ですです。例えばバチェラーみたいな(笑)
自分がなんか感覚的にきっとこれって楽しそうだとか、将来自分に何か意味がありそうだなとちょっとでも思ったら、飛び込んでみるといいのかなと思います。楽しんでもらえたらと。

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